東京高等裁判所 昭和56年(う)990号 判決 1982年5月26日
主文
原判決を破棄する。
本件を東京地方裁判所に差し戻す。
理由
<前略>
第一弁護人の控訴趣意第三点の一及び被告人の控訴趣意三項(公訴棄却に関する主張)について<省略>
第二弁護人の控訴趣意第一点の三、第三点の六、七及び第四点(住居侵入罪についての事実誤認及び法令適用の誤りの主張)について
所論は、要するに、被告人が立ち入つた別荘の敷地については、勤子は何らの権限も有しておらず、しかも住居侵入罪は、専ら侵入の形態によりその成否を決すべきであるから、本件については、事実上も法解釈上も勤子の意思如何を問題とする余地はなかつたのに、原判決が、勤子の意思に反する別荘敷地への立ち入りを住居侵入罪に当たるとしたのは、事実を誤認し、法令の解釈適用を誤つたものである、と言うのである。
なるほど、原審の検証調書及び検察官作成の捜査報告書によれば、本件別荘建物の敷地は勤子の所有ではなく、波多野リボオ、同ミキ、同幾也、同誼余夫、同梗子、同完治及び井口博充の共有名義となつている一三筆の土地から成つており、凡そ三角形の面積約五千平方メートルの土地(以下「本件敷地」という。)であり、周囲は金網、有刺鉄線により囲続されていること、本件敷地上には四戸の別荘建物が点在し、被告人が落書きした建物(以下「本件建物」という。)は、本件敷地正門入口から西方へ約二〇メートル入つた地点に位置しているところ、右建物のみ勤子の所有名義となつていることがそれぞれ認められる。
そこで、原判決の右の土地権利関係について触れるところを見ると、原判決は、「長野県北佐久郡軽井沢町大字長倉字獅子岩二、一四七番一六五の一の波多野勤子が所有し、波多野リボオ及びその家族が居住する別荘の敷地内」に被告人が立ち入つたとしており、その立ち入りの対象となつた本件敷地と勤子との関係についての判示がやや明確さを欠くことは否めない。しかし、前記の事実に照らせば、右判示によつても、勤子が所有するのは、当時「波多野リボオ及びその家族が居住する別荘」、即ち本件建物そのものであり、被告人はその敷地内に立ち入つた、と判示している趣旨に解し得ないこともなく、原判決が、本件敷地まで勤子所有のものと認めたとは断じ難い。
もつとも、そうすると、原判示には、本件敷地についての権利関係の表示がないようにも見える。しかし、本件敷地については、その共有者らがすべて勤子と親族関係にあり、その勤子が毎年本件建物を別荘として利用してきていたことからすれば、勤子と右共有者らとの間には、本件敷地について、当然黙示の使用貸借関係が生じていたと解され、勤子は右契約上の権利者として本件敷地の利用権を得ていたものと認められる。(従つて、弁護人が、本件敷地に関して、勤子は何らの権限も有しないと主張するのは当たらない。)しかも、右の利用関係は、本件建物所有者である勤子の立場に照らせば、あまりに当然かつ明らかな事柄であるから、原判決も、その利用関係を特段に表示することなく、単に「勤子が所有し、波多野リボオ及びその家族が居住する別荘」の「敷地内」と判示したとも解され、結局、原判決に本件敷地の権利関係についての誤認があるとは言い難い。
そうすると、本件敷地について利用権限のある勤子が、予め私宅への訪問拒否の通告を出していた以上、これに反して本件敷地内、即ち勤子の私宅内に立ち入つた行為(以下「本件立ち入り行為」という。)は、後記のとおり住居侵入罪に該当すると言わなければならない。
これに対し、所論はなお、刑法一三〇条前段の住居侵入罪の保護法益は、住居の事実上の平穏であるから、本件立ち入り行為が、仮に勤子の意思に反しても、その立ち入りの態様が、本件の如く昼間、被告人一人で、開放的な別荘敷地を通つて本件建物に至つたというだけの何ら住居の平穏を侵害するものでない場合には、住居侵入罪は成立しない、と主張する。
しかしながら、住居侵入罪の規定は、住居(障壁で区画された本件の如き敷地を含む)の安全、平穏ないしその利用の自由を保護するものと解すべきであるから、その利益享受者である勤子が、予めその住居への立ち入りを拒否する意思を明示している場合には、これに反する本件の如き態様による住居への立ち入りは、右の法益を侵害するものとして、「故なく」住居に立ち入つた違法なものとなり、処罰の対象になると言うべきである。
もつとも、本件敷地は、前記のとおり波多野リボオ、同誼余夫らの共有に係り、しかも本件犯行当時、本件建物には原判示のとおり波多野リボオとその家族が、他の一戸には波多野誼余夫がそれぞれ居住していたのであり(但しいずれも外出中)、加えて、原審証人波多野誼余夫の証言中には、仮に同人が本件犯行当時に右建物に現在していれば、被告人の本件敷地への立ち入りを許容するかの如き口ぶりを示すところも見受けられ、そうすると、本件敷地については、果して勤子の立ち入り拒否の意思のみをもつて住居侵入罪の成否を決することが適当か否かの問題も生じよう。しかし、住居利用に関し、複数の利益享受者が存する場合に、その一部の者が特定の個人に対して住居への立ち入りを許容したとしても、それによりその立ち入りを拒否する者の利益が害されて良いとする理由は全くないのであるから、本件敷地についても、勤子がその立ち入りを拒否する限り、その意思に反する本件の如き立ち入り行為は、勤子との関係で住居侵入罪に当たると解するのが相当である。以上のとおりであるから、本件立ち入り行為について、これが勤子の意思に反するものとして住居侵入罪の成立を認めた原判決の事実認定及び法令の解釈適用には、何らの誤りも認められない。論旨は理由がない。
第三弁護人の控訴趣意第二点(住居侵入罪についての訴訟手続の法令違反の主張)及び控訴趣意第三点の二、被告人の控訴趣意一、二項(住居侵入罪についての事実誤認の主張)について<省略>
第四弁護人の控訴趣意第一点の二及び被告人の控訴趣意二項(住居侵入罪についての訴訟手続の法令違反の主張)について
所論は、要するに、原判決は、本件立ち入り行為が組合の正当な行為として労組法一条二項に該当するとの弁護人の主張に対し、刑事訴訟法三三五条二項に違反してその判断を脱漏しており、その訴訟手続の法令違反は判決に影響を及ぼすことが明らかである、と言うものである。
そこで、まず原審公判調書によつてこれを見ると、同調書上には何ら刑事訴訟法三三五条二項の主張として右労組法一条二項の主張が摘記されておらず、原判決も格別右主張に対する判断を示していないことが明らかである。
しかし、公判調書上にその記載がないことが、直ちに右主張のなされなかつた事実を証するものでないことは言うまでもないから、さらに記録を精査して検討すると、原審第一回公判期日において、公訴棄却を求める趣旨で陳述された弁護人芳永克彦作成名義の意見陳述書第三項において、「本件は労働事件に対する起訴であつて、当然にも各犯罪の成否判断においては労働組合法第一条第二項の規定を前提としなければならないことをここに指摘しておきたいと考える」(記録四八丁裏)との主張が見え、また同時に陳述された被告人作成名義の意見陳述書においては、本件犯行に至る経緯を述べるうちに、洋書センターは波多野勤子が中心となつて設立した会社であり、同センターが入居しているビルの建て直しを機に、同女が組合つぶしをはかり、ビル新築期間中洋書センターを偽装閉鎖し、組合員を排除しようとして、その主導のもとに洋書センターの移転を強行し、これに反対する被告人ほか一名の組合員を解雇した。しかも勤子は、争議直前に洋書センターの会長を辞し、責任追及をかわす手段を整えて、今日に至る争議長期化を直接もたらした。本件犯行は、右の洋書センターの争議と勤子の争議責任を抜きには理解できない、と述べていることが認められる。右の各主張については、被告人、弁護人とも、その後これを取り下げた形跡はないうえ、第一〇回公判において陳述された弁護人の冒頭陳述書二項では、「勤子の争議責任と組合の面会要求に応ずべき立場」と題して、右被告人の意見とほぼ同様の経過をさらに詳しく説明し、「とりわけ波多野勤子は会社に対して最も影響力を有する人間であり、営業再開にあたつての唯一の場所たる新ビルを賃貸するか否かは彼女の心一つにかかつており、また労使紛争の原因を作り最もその責任を有している存在であつたから、組合が同人に対して率先して組合との団体交渉の開催に努力するとともに営業場所を提供するよう働きかけることは当然の組合活動であつた」(記録二五七丁)とし、その四項において、「本件別荘への立ち入りは、波多野勤子またはその代りの者に要求書を交付し、組合との面会の意思を打診することにあつた。組合は、例年夏には波多野勤子は軽井沢の別荘で過すと聞いていたことから、立ち消えになつた交渉再開を働きかけるべく、要求書を作成して本件別荘に赴いたものである」と、その主張をより具体化していることが認められる。右の主張内容は、原審第一七回公判における弁護人芳永克彦、同細野静雄による最終弁論要旨にも引き継がれ、結論として、労働委員会の団交命令の名宛人である会社の名目上の代表者が団体交渉に応ぜず、解決能力を有しない以上、争議責任のみならず争議解決能力も有している勤子に対し団体交渉を求めることは、組合の当然の権利である、と主張しているのである。
右の如き被告人、弁護人らの主張は、右に引用した内容からも明らかなとおり、洋書センターが解散した後に、清算人でもない勤子を、実質的な使用者として、同女に対し会社再開等を目的に、組合との交渉を求めるという特異な事案に係るものであり、従つて、右交渉を求めるための本件立ち入り行為が、労組法一条二項に言う、正当な「労働組合の団体交渉その他の行為」であるというためには、後記の如く法解釈上なお補充、補正さるべき問題が多く残されていたのであり、従つて、未だ前記程度の内容では、労組法一条二項の主張としては不十分であつて、これをもつて直ちに刑事訴訟法三三五条二項の主張があつたと認めることは難しい。しかし、少なくとも、本件立ち入り行為に対して労組法一条二項の適用を求めている趣旨のものであることは十分これを窺うことができるのであるから、その主張に重要性と複雑困難性が予想されることに照らし、原審としては弁護人に釈明し、その主張が、労組法一条二項の適用を求めるものであるか否かを明らかにさせ、そうであるならば法律上の不備を指摘して、適宜の補充、補正をさせ、主張立証を尽くさせたうえ、これに対する判断を示すべきであつた、と言わなければならない。しかし、記録上、原審において右の如き釈明等をした跡は何ら窺えないのであるから、その原審の措置は、釈明義務(刑事訴訟規則二〇八条)に違背し、審理を尽くさなかつたものとして、訴訟手続に違法があると言われてもやむを得ない。
ところで、被告人、弁護人らの主張が、労組法一条二項の主張に当たるか否か釈明すべきであるとしても、それをしなかつた訴訟手続上の遺漏が判決に影響を及ぼすというためには、釈明の対象たる被告人、弁護人らの前記主張が、法的に労組法一条二項の主張として成立可能なものでなくてはならないことは勿論、証拠上からもこれが認められるか、あるいはその可能性の存する場合ではなくてはならない。
そこで、これを本件事案に即して検討すると、労組法一条二項の主張として認められるためには、1被告人の属する組合の適格性、2本件立ち入り行為が組合のそれとして認められるか否か、3勤子が労組法一条二項の予定する「使用者]に該当するか否か、4これが肯定されるとしても、勤子が予め面会拒否していたことは、正当な理由に基くものと見られるか、5私宅への訪問が、労組法一条二項の「組合の団体交渉その他の行為」に入るか否か等の点が問題となり得るであろう。以下、右の法律上の問題点につき、証拠上の観点も併せて検討する。
1まず、関係証拠によれば、被告人が属している組合が、昭和四八年六月に、当時の洋書センターの社員の全員であつた被告人ら三名で結成され、以後会社側と種々団体交渉を行つてきたこと、洋書センターの社屋移転をめぐる紛争により、被告人及び組合員である中川京子が昭和五〇年五月一五日付で懲戒解雇され、その後、洋書センターは同年八月二九日に解散したものの、組合の救済申立てにより、同五一年七月二〇日、右解雇、店舗移転、会社解散の問題についての団交命令が東京都地方労働委員会から発せられたことが認められる。
右事実からすれば、洋書センター労働組合が、労働組合としての実質を備えていることは十分推認し得るところであり、そのうえ、労組法一条二項に言う「組合」とは、同法二条、三条の場合とは異なり、現に使用者との間に雇用関係の存することを要しないと解されるから、洋書センター労働組合が、労組法一条二項に言う「組合」として適格を有することはさほど問題とならないと考える。
2次に、本件立ち入り行為が「組合」としてのそれとならない限り、労組法一条二項の保護の範囲外の行為と見ざるを得ないが、この点については、被告人が、勤子の別荘を訪問することは「組合で決めました」と述べており(原審第一四回、記録一二五七丁)、これに反する証拠もないのであるから、本件立ち入り行為は、一応組合の決定に基くものとして評価することが可能である。
3ところで、勤子の使用者性については、困難な問題もあるので、やや詳しく考察する。
洋書センターが、前記認定のとおり既に解散した会社であることからすれば、組合の交渉相手は、本来洋書センターの清算人とされていた松井晴嗣であることは明らかである。しかし、記録により一応認められる次の如き洋書センター解散に至る経過事情に照らすと、被告人が、勤子を洋書センター再開あるいは解雇撒回をなし得る権限を有する者と見て、同女にその為の交渉を求めたことは、あながち理由がないものとも言えない。即ち、
(一) 昭和四四年、勤子が以前から代表取締役を勤めている株式会社さいこ社は、その所有する建物(東京都千代田区神田神保町二丁目二番地所在の木造二階建、以下「さいこ社ビル」という。)の入居者であつた会社が退表したことにより、それに伴う保証金支払のため銀行借り入れをせざるを得なくなつたのであるが、その際、右借入金の穴埋めと、勤子の年来の希望であつた書籍小売業開設を実現させようと、洋書輸入各社に呼びかけ、勤子も、さいこ社としてのみでなく個人としても同額の出資をした結果、同年一〇月三〇日に輸入洋書小売業としての株式会社洋書センターが設立され、代表取締役には勤子と渡辺正宏が就任し、松井晴嗣が営業を担当することになつた。
(二) 洋書センターは、さいこ社ビル(占有面積約七四坪)の入居に必要な敷金一千五百万円を、さいこ社の物上保証により銀行から借り入れることになつたが、その返済終期は、六、七年後と予想されていた地下鉄建設のためのさいこ社ビルの取りこわし以前になるよう、昭和四九年一一月とした。
(三) また、右入居時において、さいこ社と洋書センターとの間では、洋書センターが将来とも活動を続ける場合には、右ビル取りこわし後に建築される新ビルに入居する権利を有することなどを折り込んだ覚え書が取り交わされた。
(四) 洋書センターの営業開始後、勤子は代表取締役会長としてその営業にもかかわつてきたが、右借り入れ金の返済の目途もたつたとして、その返済終期の約三か月前の昭和四九年八月二八日に代表取締役(取締役も含む)を辞任した(但し登記は右支払完了後の同年一二月一二日)。
(五) 右勤子の辞任に伴い、松井が洋書センターの代表取締役に就任したが、同人は、翌昭和五〇年二月終りころにさいこ社からビル新築に伴う社屋明渡しを求められるや、直ちにこれを受け入れる旨を回答し、同社から紹介された現社屋の約一〇分の一の広さ(約八坪)で女子更衣室、事務室のない田中ワイシヤツ店の所有する同店横の仮店舗に移転することをも了承し、同月二七日には、同ワイシヤツ店との間で右仮店舗の賃貸借契約を結び、三月分からの賃料を支払つた。
(六) その後、松井は、組合との間の労働協約に経営、人事についての事前協議約款があることを知りながら、同年三月一四日の組合との協議会まで右移転に関する事実を秘匿し、右協議会の席上でこれを知つた組合から、仮店舗の狭隘さを理由に他の移転先を捜すよう求められ、これを了承するが如き態度を見せながら、一切その努力をせず、右協議の四日後である同月一八日には、さいこ社代表取締役波多野勤子との間で、「二月末をもつて社屋の賃貸借契約合意を解除する。五月一五日までに社屋を明渡す。新ビル完成時には地下一階約五〇坪等を他に優先して賃貸借契約を行う。但し三月一日から五月一五日までに明渡しを完了しない時は右優先入居権を失う。」旨の合意書を取り交わした。
(七) 松井は、その後数回にわたつて組合との協議を重ね、組合からの前記申し入れに対しては、適当な移転先が見つからないとの発言を繰り返し、同年四月三〇日に開かれた団体交渉の席上では、右合意書を取り交わした事実を隠したまま、田中ワイシヤツ店横の仮店舗に女子更衣室等をつけ加える程度の回答をし、なお組合の要求により他の移転先を捜すことを一応了承して次回団交日を五月九日と約束した。しかし、同人は、五月三日からの連休を利用し、抜き打ち的に洋書センター所有の書籍等の一部を前記仮店舗に運び出して社屋移転をはかり、同月六日、電報をもつて、被告人ら社員に対し仮店舗への出社を指示するに至つた。
(八) これに対して、被告人ら組合員は、旧社屋を占拠し、直ちに松井に対して団交を申し入れた。松井は、一旦これを受け入れたものの、即日電報をもつてこれを拒否し、同月一〇日には仮店舗への出社命令を出し、同月一二日以後は被告人らの団交申し入れに取りあわなくなり、同日付内容証明郵便で、さいこ社代理人弁護士から、被告人らを旧社屋から退去させるよう要求されるや、同月一五日に、右社屋移転に伴う混乱の責任ありとして被告人及び組合員中川京子を懲戒解雇し、同月一六日付で右解雇の事実をさいこ社に通知した。
(九) その後、松井は、被告人らからの団交要求に応ぜず、仮店舗における営業も開始しないまま、同年八月二九日に洋書センターの株主総会を開催し、同総会は、同日付で洋書センターの解散を決議して、清算人として松井を選任し、その旨の登記は同年九月一二日になされた。
組合は、その後も松井が団交に応じなかつたため、東京都地方労働委員会に団交命令の申立てをなし、翌昭和五一年七月二〇日に、同委員会から洋書センター清算人である松井に対し、会社の行為は労組法七条二号に該当するとして、社屋移転問題、解雇問題及び会社解散の問題について誠実に団交に応ずるよう命令が出された。しかし、同人はこれを無視し、間もなく郷里の九州に帰つたため、以後組合と同人との交渉は跡絶えるに至つた。
(一〇) そのため、被告人ら組合員は、前記のとおり、昭和五二年春ころから、勤子に対し、争議解決、会社再開を求めて面会を申し入れるようになつたが、その間、洋書センター設立時の出資会社から、勤子に対し、洋書センターが形を変えても新ビルに入居できるようにして欲しいとの申し出があり、勤子も一旦は右申し出を認める意向を示し、そのための念書案を三度にわたつて作り直しているが、そのうち一度は、洋書センターが新ビルに入居しない時は、一社又は数社、あるいは数社合弁すれば、洋書センターに対するのと同様の条件で優先入居させる旨の念書を作成したこともあつた(但し、結局右は周囲の反対にあい実現しなかつた)。
また、昭和五二年一〇月二四日には、松井とさいこ社代表取締役波多野勤子との間で、洋書センターが前記移転時にさいこ社に保管を依頼していた什器備品類(本棚約四〇本、スチール机、椅子四セツトなど)を、五〇〇万円でさいこ社が買取る形で清算し(松井が受領)、併せて、洋書センターが有した新ビルへの優先入居権の喪失を再確認する旨の文書が取り交わされた。
その後、昭和五三年七月に新ビルが完成し、入居者が確定しない間の同年八月に本件が発生したものであり、勤子は同年九月一五日に死亡した。
以上の事実が一応認められる(但し、洋書センター解散前後の事情については未だ証拠上十分明らかになつているとは言えず、その如何によつては勤子の役割についての見方に重大な影響を及ぼすと思われるので、今後慎重な究明が望まれる)。
以上の経過事情に照らすと、勤子の洋書センター代表取締役の辞任は、一見経済的動機によるとも見えるが、しかし、その辞任後、数か月を経ずして、自ら代表取締役を勤めるさいこ社から洋書センターに対し、ビル取りこわしのための社屋移転の申し出がなされたこと、あるいは、勤子の後を継いだ松井の、いわばさいこ社の言いなりになつているかの如き言動を見ると、勤子の洋書センター代表取締役の辞任は、既に具体化していたビル取りこわしに伴う組合との紛議を避け、自らは専らさいこ社代表取締役として、ビル建築を円滑に進めようとの意図に出たのではないかとの疑いもある。そして、右の点に併せて、その後の松井の営業継続への熱意の乏しさ、早期の洋書センターの解散決議、右解散にもかかわらず新ビル入居権の消滅を改めて確認し、五〇〇万円を授受するという松井とさいこ社代表取締役波多野勤子との不自然な合意内容、さらには、勤子に洋書センターと同一内容の新会社設立、新ビルへの入居を望む意思があつたと推測される念書問題等を総合して考察すると、勤子は、洋書センターの中心的親会社兼ビル所有者であるさいこ社の代表取締役として、また唯一の個人出資者として、洋書センターの社屋移転、被告人らの解雇問題、あるいは会社解散、新会社設立(実質上の会社再開)等に関し、事実上の影響を及ぼすのみでなく、その意思如何によつては、これらの問題について解決をもたらす権限を有していたと見ることも、全く根拠のないこととは思われない。
もつとも、だからといつて労組法一条二項の予定する「使用者」を、右の如き実質上のそれをもつて充てることについては問題も多く、学説判例等も分かれるところであるが、例えば、有力な見解として、労働関係上の諸条件、諸利益に対して現実的、具体的支配力を行使していることが認められ、しかも労組法七条二号により、当該使用者に交渉義務を負わせなければ、労組法一条一項の目的を実現することが困難であると考えるにつき合理性が認められる場合は、その者に使用者性を認めるとの立場も主張されているところであり、また、偽装解散についてではあるが、会社が解散した以上は清算人以外に使用者たるべき者を認めないとする立場がある一方、会社解散がなければ、その組合員を雇用し続けなければならない地位に立つ解散会社と同一性をもつ新会社が使用者となると解する説もあり、これらに依つて本件を見ると、勤子に対し、洋書センター代表取締役辞任後、引続き使用者性を肯定することも不可能ではないと考えられる。
そうすると、その依つて立つ立場如何によつては、勤子について、被告人らの解雇問題、会社再開問題(社屋移転問題は本件犯行時には既に実益が失われていたと思われる)につき、団体交渉の要求に応ずべき義務が生じていたと見ることも可能であり、勤子がこれを拒めるのは、正当な理由が認められる場合のみである、ということになる。
4そこで、勤子につき、団体交渉ないしその呼びかけ(以下「団交要求等」という。)を拒否し得る正当な事由があつたか否かについて検討する。
まず、使用者の右正当事由については、種々考えられているところであるが、本件事案に即してみれば、結局被告人らの団交要求等の態様に問題があつたと思われる。即ち、団体交渉は、その交渉担当者のみによつて、非公開の席で行われるのを本則とし、喧噪等にわたらないのが要件である。にもかかわらず、関係証拠を総合すれば、原判決が「住居侵入罪の成立」の欄で詳細に認定しているとおり、被告人らは多人数をもつて大声でドアを叩きながら面会を求め、あるいは近隣に勤子を攻撃するビラ配布等を繰り返してきていることが認められるのであつて、これらによれば、勤子が(自ら使用者であることを自覚していたか否かは別として)、被告人らの団交要求等を団体交渉の本則に外れたものとして拒否したことは十分な根拠があると言うべきである。しかし、もし組合が、右の本則に立ち戻つて、平隠裡に団交要求等をなしてきた場合には、使用者にもこれに応ずべき義務が生ずることは言うまでもない。従つて、本件犯行時のように、組合の執行委員長が、一人で、団交要求等のために訪れた場合まで、これを拒否することが正当と言い得るかは一つの問題であつて、その当否が結局本件住居侵入罪の違法性阻却の有無に通じるところからすれば、この問題はなお十分吟味する余地があると言わなければならない。(もし、面会後、その団交要求等が結局喧噪等にわたれば、その面会拒否は正当性を帯びることになり、不退去罪の成立につながることは別論である。)
5もつとも、使用者が団体交渉に応じない時は、本来その団交応諾を求めて、労働委員会ないし裁判所に対し法的救済を申立てるのが原則であり、使用者の私宅にまで赴くことが許されるかは、これもまた問題であろう。しかし、前記認定のとおり、一旦は洋書センターの清算人である松井に対して労働委員会による団交命令を得ながら、同人がこれに全く応ぜず、被告人らにとつて右松井に代るべき者である勤子もまた一切の話し合いに応じようとしない事情の許にあつては、被告人が、その打開のため、勤子の私宅を訪れたとしても、その行為が団体交渉のための準備的行為と目し得ることも併せ考えれば(その場合には格別公の席を要しない)、単に、これが私宅であるとの一事をもつて違法視するのは相当と思われない。
6結論
以上を要するに、本件立ち入り行為については、なお理論上検討を要するところが多いとしても、その法律解釈の如何によつては、勤子に対する労組法一条二項の「団体交渉」ないし「その他の行為」として違法性を阻却される可能性を否定し得ないのであつて、証拠上もまたこれを疑わせるに足りるものがある、と言わざるを得ない。もし仮に、本件が労組法一条二項の要件に合致しないとしても、同条項の類推適用ないし刑法三五条の直接適用の可否も考えられて然るべきであろう。いずれにせよ、原審の前記釈明義務の違背は、これが判決に影響を及ぼすことが明らかであると言わなければならない。
そうすると、原判決は、住居侵入罪に関するその余の控訴趣意の当否を判断するまでもなく破棄を免れないが、原判決は、住居侵入罪と併せて前示軽犯罪法違反の事実も認定し、両者が手段、結果の関係にあるものとして刑法五四条一項後段、一〇条を適用して一個の刑を言い渡しているので、その全部について破棄を免れない。
よつて、刑事訴訟法三九七条一項、三七九条により原判決を破棄することとするが、本件については前記説示の諸点についてなお審理を尽くさせる必要があるので、同法四〇〇条本文により、本件を原裁判所である東京地方裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり判決する。
(岡村治信 半谷恭一 須藤繁)